ニコライバーグマン、かっこいいな。
というのは、置いておき、今回はカフェについて話したい。
僕は中学生の頃、政治を語るのが大好きだった。
父から聞く政治の話と、本やネットで見つける情報をもとに自分なりの考えをまとめていた。
しかし、政治を語る相手がいなかった。
語る相手をオンラインで探すしかなかった。
学校の友達は、もちろん政治なんて興味無かったし、話すと「すげえ」で終わってしまった。
そんな背景もあり、いつもいつも
「日本の学校は、政治に対する関心が少なすぎる。どうにかしないといけない。」
とずっと思っていた。ソフトテニスを全力でやっていたら、気付いたら高校3年生となっていた。
高校の卒業論文で大好きだったスターバックスについて書こうと思った。
サードプレイスという理念が好きになり、サードプレイスがなんで素敵かを書こうと思った。
しかし、勉強すればするほど、昔の記憶が自分に蘇ってきた。
レイ・オルデンバーグ氏が述べたサードプレイスの概念とは、「家でも会社でもない、3つ目の場所を提供することで、今まで話したことにない人たちが出会い、コミュニティを作り、政治や経済の話をすることで経済を発展させよう」というものだったのだ。
まさに、昔、自分がずっと思っていた「日本の学生の政治的関心が低い」という疑問と、サードプレイスが一致したような気がしたのだ。
日本には、このサードプレイスの役割をスターバックスが達成できていないのだ。だから、日本には本当にサードプレイスが数える程しかない。
レイ・オルデンバーグが言った通りのサードプレイスを、今の日本に作れば、みんなが気軽に政治について話すことのできる空間ができるのではないか。スターバックスにも達成することができなかった、サードプレイス。俺ならできるかもしれない。そんなワクワクが少しずつ自分の中に広がっていった。
大学へ入学してからはスターバックスでアルバイトを始めた。やっぱり、思っていたサードプレイスは、スターバックスには存在しなかった。せいぜいお店の人とお客さんの繋がり程度のものしか生まれておらず、店舗ごとにコミュニティは発生していなかった。
そこで、まずはKEIO BUSINESS CONTESTに出してみた。
その時に興味のあった「幸福」と「カフェ」を掛け合わせ、サードプレイスのあるカフェにいることで、人々は幸福になるというロジックを無理やり作るが、ビジネスモデルを提示できず、敗退した。
そのあとは、3冊の本に出会った。
「コーヒーハウス」
16世紀以降のイギリスのコーヒーハウスの存在が、社会にどのような影響を与えたのか、細かく書いてあった。イギリス文学史をコーヒーハウスを視座にみた感じの本。やはり、カフェは社会を動かす役割を果たすと認識した。
「ゆっくり、いそげ」
クルミドコーヒーの影山さんの本。経済という言葉は、経世済民という4字熟語からきたもの。これは、「社会をつくる」という意味。「社会をつくる」ための経済が、いつから「ビジネス」という言葉に入れ替わってしまったのか。一人一人のお客さんとの「ギブしあう」関係から社会をつくれば、結果としてGDPは大きくなるのではないかというものだ。カフェの中に、彼の政治社会がある。カフェから社会はつくられる、そんな可能性を感じた。
「カフェから時代は創られる」
19世紀パリのカフェには、ピカソやヘミングウェイなどの文学人がたくさん集った。そこでそれぞれの作品を批判し合うことで、刺激が生まれ、カフェにいた中から大量に著名なアーティストが誕生した。天才がカフェに集まったのではない。そこにカフェがあったから、天才が生まれたのだ。これには、魅力を感じてしまう。日本社会でも明治維新前には、薩摩藩の惣、そして長州の松下村塾などから集団で天才が誕生し、彼らが時代を作った。カフェにこだわる必要はないが、コミュニティから、時代が創られることは確かだ。このような場を作りたいと思ってしまった。
また、特に1つの映画に感化された。
「ミッドナイト・イン・パリ」
主人公が19世紀パリのカフェへとタイムスリップしていくストーリー。ピカソやマンレイ、またカフェの雰囲気、話している流れなどが実際に、理解できた。あんな場所があればいいのに。
そして、3人のカフェオーナーに出会った。
影山さん
クルミドコーヒーのオーナー。彼の考え方、地域コミュインティとの関わり方、全てすごいと単純に思った。カフェはたくさんあった方がいい。より多くの人が、カフェからコミュニティに参加できることを感じられた方がいいから。だから僕も東京にカフェを作りたいと思った。別に銭湯でコミュニティを作ってもいい。でも、今の時代に合うのは絶対にカフェだと、そう思う。公共サービスの役割を果たせるくらい頑張りたいと思ってしまい、夢が膨らむばかり。
山根さん
FUZONのオーナー。石川県加賀市のカフェ。クルミドとはまた違って、マスターを通した人と人が繋がる空間だ。初めて、マスターというものに会い、話した。そこで思った。自分でマスターをやることで、人と人が繋がるコミュニティが作れたらもうそれほど人生で楽しいことはないなと。そして、カフェについて何時間も相談してくれた。本当に優しい。最初ちょっと怖い。
阪大でカフェを開いた方(一応匿名?)
阪大で、カフェを開く。友達とバイトでお金を稼いでカフェを作るという偉業。やはり、大学を卒業される時に、お店を閉じてしまったらしい。長い間続くカフェを作るのは難しいよとアドバイスをいただいた。あぁ、僕はマスターを通してお客さんが繋がる、学生が集まって気軽に議論ができるカフェを作って、そこからコミュニティが生まれて、そこから社会をつくる動きが生まれればいいな、と再確認した。そこに、地元のおじいちゃんとかが来て、「わしの時代はな、、」とか話してくれたら楽しそうなのに。
とにかく、読書と映画鑑賞、そして人に会うことで、
カフェへの妄想を膨らませていたら、
もう大学二年生の6月になっていた。
ということなのだ。
そして、昨日、友達に話した。
僕のカフェについて話を聞いて欲しいと。
そしたら、南なのに、なんで行動してないの?と言われてしまった。
あ、想像するだけで、実際にどうやったら作れるのかを考えて来ていなかったな、と。
そして、よし、自分でまずは立ち上がらないといけない。
そんな気持ちでこのブログを書いた訳である。
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