「祭り」の新たな選択肢

夏祭り。

この言葉を聞いて、みんなはどんなことを想像するだろうか。



おそらくこのような姿だろう。

学生であれば、狙っている相手を誘うチャンスの日でもある。

もしも成功したら、素敵なデートにもなるのだ。


花火を見たり、焼きそばを食べたり、かき氷を食べたり。

時には、ちょっとお酒を飲んだり、輪投げなどのゲームを楽しんだり。



いやあ、素敵だ。非常に素敵なのだが、

このような遊びに、人間の本質的な「楽しさ」はあるのだろうか。

私はそこが少し疑問なのだ。


確かに、好きな人と一緒にいること、何かを共に体験するということは、

嬉しくて嬉しくてしょうがないことだろう。

緊張したり、考え過ぎてしまったり、忘れられなくなったり、夢に出たりもする。

それはそうなんだけど、何かが違う気がするのだ。


では、人間の本質的な楽しさとは何か!?

私は以下の2つだと仮定したい。

1、本能的な感動

2、創造的な表現


まず1つ目。本能的な感動

・昨日もスーパーボウルがあったが、

スーパープレーをした時に、「うわぁ、すげえ、、」って思っちゃうのは、

それは理性ではないだろう。自分自身の本能が反応しているのだと思う。

心から、鳥肌が立つような感覚。

オリンピックで、400mリレーで日本が勝った時も同じような感覚がした。

・他にも、美術館も似ているのではないか。

なんで、そんな作品作っちゃうの、まじか、、。

常識を覆されるような作品を見たときは、圧倒される。

・ダンスを見るのとか、映画を見るのもそうかも。

だって、すごくないダンス見ても、何とも思わないもんね。

でも、かっこいいダンス見たときは圧倒される。うわ、、、と。

映画も、感動したり、泣いたり、怖かったり、驚いたり。

こういう何かしらの本能的な心の変化を求めているのかもしれない。


→恐らく、何かが限界に挑み、何かを表現しているのを見ると、

人間は、本能的に「すげえ」って思うんだと思う。

(例えば、お祭りだとしたら、阿波踊りのすごさに圧倒されたり、神輿の迫力に驚く。

これは、人間の本能的な感動だと思う。)


そして2つ目。創造的な表現

・今度は、自分がスポーツのプレイヤー側だとした時だ。

いつもの実力通りの試合をしても、自分はそんなに嬉しくないだろう。

でも、ある大会のその一瞬だけ、自分の実力を超えた何かしらのパフォーマンスをした時、

多分、めちゃくちゃ嬉しかったり、記憶に残ったりするはず。そういう瞬間。

・何か、新しいアイデアを思い付いた時

今まで世の中になかった物を、創造する時って相当たる喜びに溢れるでしょ。

→自分の限界を超えた瞬間、もしくは世に新しいものを生み出す瞬間では。


つまり!!!!
お祭りも、結局他の物事と同じなのではないかということ。

伝統を継承させることを目的になってしまったため、

まぁ確かに、地域の人たちがまとまる良いきっかけではあるのだが、

都市部では特に地域のコミュニティが小さくなっているということもあるし、

祭りも何かしらの形で変化する必要があったのでは!!!!


そこで、私が出す仮説が、

私たち若者が、創造的な表現をすることによって、

街の人たちに本能的な感動が生まれるような瞬間があれば、

その瞬間こそが人間の本質的な「楽しさ」となるのではないかということ。


もしもそうなれば、それは、ついに、

新たな選択肢としての「祭り」になるかもしれない。














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