芸術とは何か。

選挙面白かった。今度ちゃんとした記事を書こうと思うが、それよりまず驚いたのは、浮世絵の話。


なんと、浮世絵ってもう期限がすぎて、著作権フリーになったそう。これは何かに活用できそうだなと確信した。だって、歌川広重の絵って、茶店を描いてることが多いから。茶店、喫茶店、カフェの3つはまじでキーワード。色々と。


さあ、ということで、今日書きたいのは、芸術について。

岡本太郎の、今日の芸術を読んだわけです。


そしたら、かなりまじで面白かった。せっかくなので、最初の20ページまでの面白かった部分を引用する。ぜひ多くの方にも読んでもらいたい。


芸術は、ちょうど毎日の食べものと同じように、人間の生命にとって欠くことの出来ない、絶対的な必要ぶつ、むしろ生きることそのものだと思います。

まず最初に、芸術とは何かについて。


かつて「芸術」は、たいへん高度なもので、だれにでも理解できるとは考えられていませんでした。特権階級や専門家たちの独占物だったのです。しかし、ようやくその枠はふみ破られて、およそ芸術などとは無縁だと思われていた一般の人々の生活に、ひろく食いいり、深くしみこみはじめています。

芸術は、最初は貴族の趣味だった。でも今は美術館などの広まりによって人々の楽しみとなった。



一日のいちばん長い時間、単一な仕事に自分の本質を見失いながら生きている。たいていの人は、食うためだ、売りわたした時間だから、と割り切って平気でいるように見えます。しかし、自己疎外の毒は、意外に深く、ひろく、人間をむしばんでいるのです。

 義務づけられた社会生活の中で、自発性を失い、おさえられている創造欲がなんとかして噴出しようとする。そんな気持ちはだれにでもある。だが、その手段が見つからないのです。

現代の問題について。しかも、これ書いたのまさかの1950年代。バブルも始まってない時期にこんなことを書いている。最近はこういうことも改善されてきてはいる、と思っている。ちょっとはね。


どんなに遊んでも、そのときは結構たのしんでいるようでも、なにか空虚なのです。自分の生命からあふれ出てくるような本然のよろこびがなければ、満足できない。自分では知らなくても、それは心の底で当然欲求されているし、もしその手応えがつかめれば、健全な生活のたのしみが、自然にあふれてくるはずです。

僕もたまに感じる、虚無感。本来の生きがいを感じられてない感。


自分自身に充実する。(中略)他の条件によってひきまわされるのではなく、自分自身の生き方、その力をつかむことです。それは、自分が創り出すことであり、言い換えれば、自分自身を創ることだといってもいいのです。
 だが、どうやって?
それをこれからお話ししようと思います。私はそこに、芸術の意味があると思うのです。それは現代社会に置いてこそ、とくに必要な、大きな役割として、クローズアップされています。
 それは一言でいってしまえば、失われた人間の全体性を奪回しようという情熱の噴出といっていいでしょう。現代の人間の不幸、空虚、疎外、すべてのマイナスが、このポイントにおいて逆にエネルギーとなってふきだすのです。力、才能の問題ではない。たとえ非力でも、その瞬間に非力のままで、全体性をあらわす感動、その表現。それによって、見るものに生きがいを触発させるのです。
 失われた自分を回復するためのもっとも純粋で、猛烈な営み。自分は全人間である、ということを、象徴的に自分の姿の上に表す。そこに今日の芸術の役割があるのです。

失われた自分を最大限に取り戻そうとするときの情熱の噴出。これこそが芸術だ、ということ。


最近よくあるコンセプトに、こんなのがある。




TRUNK(HOTEL)は、新しい社会貢献のスタイル<ソーシャライジング>の発信拠点。 <ソーシャライジング>、それは「自分らしく無理せず等身大で社会的な目的を持って生活すること。」


そう、ソーシャライジング。そのままでいいんだよ、ということ、


確かに、そのままでもいい。だけど、そのままをただ肯定するだけでは人間は、人間ではないと思う。だってそのままを認めたら、人間は進化をとめるから。進化を止めた人間は時代について行けずに衰退していくだけ。それだったらすぐに死んだほうがそのままで一生生きていける。


そのままの自分でもいい、ただ、その自分を表現せよ!情熱を吐き出せ!

行動でも、絵でも、仕事でも、学問でも、遊びでも、インスタでも、なんでもいい。


その情熱をだし、表現すること。これこそが、芸術であり、アートであり、人間だと思う。



と、いうことで、僕が提唱する「芸術とは何か。」は、「人間たること」だ。


岡本太郎さんは、アーティストとして、芸術を表現するために言葉では表現しきれない感情を表すために、「絵」を手段として使った。んだと思う。


写真家だったら、自己表現を写真でする。

政治家だったら、生き様や演説、行動で表現する。

研究者だったら、研究で表現するし、

映画監督だったら、自分の作り上げる映画で表現する。

デザイナーだって、企業からの条件をもらいながら最大限に表現する。


ブロガーは、自分にしかできない書き方で表現する。

演者であってもそう。いかに自分を消して他人になりきるか。

他人になった自分を通して自分を表現している。



辛い自分、楽しい自分、明るかったり、暗かったり。

時によって、人間は様々な感情をもてる、すんげえ人間だ。

常に何かを感じながら生きられる。


だからこそ、人間は常に進化できる。

全く同じ表情は一生できないし、全く同じ考えは一生持てない。


常に進化して、常に自分を表現する。

それこそが、人間たること、芸術たることなんだと思う。




だから、自分を失いながら、

他人や親から「商社に入りなさい」「大学へ行きなさい」を

ただ聞いて、自分で何も考えずに、大人になっていくような人は、


僕は好きではないのだろうな、と感じた、そういう一日でした。















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