ブレードランナー2049を3回目観て思うこと

朝からブレードランナー。


トランセンデンスや2001年宇宙の旅で完全にSFにどハマりした。


そしてブレードランナーが日本で公開される1週間前くらいに初めてブレードランナーについて知った。相当やばいSFらしい、そして大好きなライアンゴスリングが主演らしい、スターウォーズが光ならブレードランナーは闇らしい。そんな情報しか知らない状態で公開日の9/27(金)に初めてブレードランナーの世界に入ってみた。


そしたら、もう、わけがわからなかった。本当にわからなかった。不明な世界すぎて、何がいいたいか分からなくて、調べまくった。Wiredのありとあらゆる記事を読み、リドリースコット前作の監督など色んな方々の作品や考え方などを知っていった。


そして、再挑戦した。一昨日1人で再チャレンジ。前回はIMAX、その時は109シネマズ無料チケットで入り込む。そしたら、自分なりに何かが見えてきた気がした。それは、"More human than humans"

というセリフだ。大義ある死のできるレプリカントたちは、人間よりもより人間味があるのではないか、という問いかけ。これは面白いなと思った。地方創生などで行われていることは、デザインとしての考え方が根本にあるはず。それは今まで人間が気にしていなかったことに目を向け再発見し、新たな付加価値を生み出すというもの。そのデザインの考え方と、この"More human than humans"は似ていると思った。人間は、知らないうちに、人間とはどうあるべきか、生きるとは何かのような根本的なことを考えないで、レールや社会の流れに身を乗せてしまっているのではないか。現代の人間が何も考えずに「普通だ」と思っていたことに疑問を持ち、新たな考えや生き方を再発見するべきなのではないか、という問いかけを、人間はレプリカントとの出会いによって考えられるようになるのだ。ほお。なるほどな。



さあ、そして今日は3回目だ。初めて友達と一緒に観た。

今日観ていて思ったのは、「美しさ」についてだった。

ブレードランナーの広告には誰かが「この映画は100年後観ても美しい」とコメントしていた気がする。何年経っても美しいと思える映画の一つとして、「2001年宇宙の旅」があるだろう。1950年代に作られた映画なのに、あの世界にはすでにAIがいた上に、何よりも白をベースとした宇宙ステーション内が美しい。そして最初のサルが、骨が武器になることを知ったあの瞬間も不思議な感覚となり、今でもすごい映画だなと思ってしまう。


だからこそ、これからもずっと「美しい」と思えるシーンはブレードランナーのどの部分にあるのかが今回気になった。まだ、わからないところが多い。あまりにも頭が悪い人間なもので、感覚勝負で考えているので理解には時間がかかる。でも、そんな人間なりに考えてみると、もちろんオレンジを基調とした景色はあまりにも美しすぎるし、大きな銅像の下を歩くシーン、大きなホログラムとの対面、荒波の中のシーンも映像だけで圧倒される。それ以外に、自分の心に残ってしまうシーンは、新型のレプリカントがビニールから落ちてくるシーンとウォレス社のAIが踏み潰されて最後"I love you"というシーンの二つだ。他にもレイチェル(再生成バージョン)が出てくるシーンもあまりにも淡々としすぎてて怖かった。


これはまとめると「レプリカントの生」と「AIの死」の瞬間だろう。この2つに不思議な感覚を与えられた。おそらく、デザインシンキングを超越したような、新しい人間としての生き方の再定義がされているような気がする。ロジックは崩壊しているが、何か、そんな、新たな何かが社会へと問いかけられたような気がしてしょうがないのだ。


このわけのわからない感情を持ちながら、現代のこの時代に溶け込みながら生きていく、自分。

何かがへんで、何かがおかしい。僕たち人間は現実逃避はできても、抜け出すことはできない。

抜け出すことができないという制限が人間にはあるからこそ、何か、社会のためにできることがあるのではないかと思ったりする。


ただただ、農業の発達とか、電力とか、都市化とか、宇宙に逃げてるとか、労働力をレプリカントで補ってるとか、そんなことでも考えたいんだけど、なぁ。


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