雲の中にいるようだ。

バイト先の友達が書いてくれた。

すごい素敵だから、ぜひ読んでみて欲しい。

こんなカフェ、作ってみたかったんだよな〜




雲の中にいるようだ。

 まだ夢の中にいるかのような、そんな錯覚を起こすほどの白い空気。

そんな白くぼやけた空気の真ん中にポツンと一件のお店が灯りをともしている。

店内へ足を踏み入れるとコーヒーミルを拭いているいつものマスターの姿。

 お互いに笑顔で挨拶交わし、いつものようにコーヒーを注文する。 

「おはよう」 ふいに後ろから明るい声が聞こえた。


 「おー、おはよ」 パーカーのついてる大きめのスウェットに焦げ茶色のエプロンをつけていているこの子は、ここのお店の店員さんだ。

ほぼ毎朝顔を合わせていたら随分と親しくなった。

 彼女は、にこっと笑い、マスターの後ろに広がる窓の外へ目をやった。 

「すごい、霧と靄だね」 

「ね、外、辺り一面真っ白だったよ、視界悪い感じ。雨降んのかな」

 「本当に真っ白。でも霧と靄がどっちもかかってる今日みたいな日は、一日中晴れなんだって」

 「へー!そうなんだ、晴れか」 

「空模様や空気を見て、天気がわかるなんて素敵だね」 

マスターも感心したように言うと、「お待たせしました」とコーヒーを差し出してくれた。 


じんわりとしたあたたかさが手の中に広がる。

 「ありがとうございます」

 「いってらっしゃいませ」

 「いってらっしゃい」

 和かに手を振る2人を見て心もあたたかくなった。

「行ってきます、」と手を振り返しお店を後にする。  


ここのコーヒーを飲むことが、今日一日の始まりの合図。

紙カップの蓋を取ると、淹れたてのコーヒーの煙が香りと共に空気の中へ溶けていった。

 それを眺めながら、ゆっくりと深呼吸をする。 





いくつかの授業を終えたあと、空には退屈に見えるほど何もない青が広がっていた。

授業と授業の間の空き時間も空と同じようにとんでもなく退屈だ。  

引き戸のドアを開けると、店内の様々な窓から光が差し込んでおり、神聖な雰囲気を漂わせていた。

晴天の日にはいつもこの光の先へ目をすべらせ、その方向へ自分も座る。 

腰を曲げ、机に近づき木の香りを嗅ぐ。

木漏れ日につつまれた森林の中を歩いているような香りに、次第に瞼が重くなっていく。


課題に追われて最近あまり眠れていなかった。

コト、と机にコーヒーカップを置く音が聞こえ、慌てて目を開けた。 

「お疲れ様です」

 視線の先にはコーヒーのソーサーから離れる指先が写り、

魔法をかけたようにコーヒーの煙を燻らせた。 


「いい香り……」 今日の豆はケニアだ。

フルーティーな香りに誘われ、上半身を起こすと、その隣に置かれたものに気がついた。

キャメルワッフルと英語で書かれたお菓子が置いてある。 

「ドイツのお土産です、今日のコーヒー豆も現地で買ってきたものなんですよ」 にこやかにマスターは言った。


そういえば、先月、ドイツへ行くと言っていたことを思い出した。

そうして1週間お店が休みだったことも。 

いつも何かしらコーヒーにお菓子を添えてくれるのだが今日のはドイツ土産ということあり、

一段と興味がそそられた。 

「ありがとうございます!

たしかに、なんだかいつもよりコーヒーが香る気がします、これも美味しそう」 


本当に嬉しい時、人は息を吸って言葉を発するらしい。

僕のその姿にマスターは誰よりも嬉しそうに「喜んでいただいてよかったです」と笑顔で言った。

 ワッフルを手にし、封を切る。

見た目は平たく、コーヒーの飲み口よりも一回りくらい大きい。

中にはキャラメルのような甘いシロップが挟んであるようだ。

 自分の他にいたお客さんにも、お土産を渡していた。



ふとカウンターの隣の隣の席に目をやると、1人の女性が何やら面白い食べ方をしていた。

思わず興味津々に見つめてしまう。僕の視線に気が付いたのか、女性が顔をあげ、微笑みかけてくる。微笑み返すと同時に声をかけた。

 「その、ワッフルの食べ方、面白いですね」 

女性はふふふと笑って 

「そのまま食べても美味しいんだけどね、こうやって、コーヒーカップの上に乗せて、熱で中のキャラメルがとろりと溶けた時に食べると一層美味しいのよ」 

コーヒーをワッフルで蓋をした光景は、幼い頃に思い描いた空想の世界の食べ物のようだ。

 「へえ!初めて知りました」

 「これはねドイツでは主流の食べ方なのよ」 

首にストールを巻いた母親と同じくらいの歳の女性はどこか遠いところを見つめた。 

「へえ!すごい面白いですね!」 

「ぜひやってみて、きっとお口に合うはずよ」


大学ではドイツ語の授業を取っている。

しかし、言語を習っていても、実際のドイツでの習慣や文化などは何も知らなかった。

これじゃあただの頭でっかちだ。

僕はここで、大学での勉強とはまた違う、生涯単位の学問と出会うことがしばしばある。

そんな時、世界にはこうして、たくさん知らないことがあると改めて感じる。

どれだけ僕はこの世界へ目を向けられるだろうか、そんなことを考えた。 





外に出ると空は随分と暗くなっていた。

このお店の周りは街灯が少なく、お店自体が街灯のようだ。

空を見上げると星が地上から月への架け橋のように光り始めていた。

1つの星がとろけるように空から落ちた。

それはまるでトロトロに溶けたキャラメルがコーヒーに滴たったような流れ星だった。  

すっかり夜が更けたころ、大学での作業を終えた僕は再びお店へ向かう。

夜が更けても雲は1つも存在しない、今日は彼女が言った通りの見事な好天だった。

 月の光が天窓から差し込んでいる店内は朝とも昼とも違う光の反射がまた美しい。 

カウンター席の後方には、1つのテーブルを挟んで2つの椅子が置いてある席がいくつか並んでいる。

席に着き、壁に置いてあるスイッチを押す。

店内はにはさまざまなところに間接照明が置いてあり、じんわりとした明るさに包まれている。

各席に手元を照らすライトが置いてあり、勉強をするときに灯す。

個室のような空間が作り出され、まるで小さな宇宙にいるようだ。  

コーヒーが作られるまでの様々な音が静かなBGMに混ざり合い、心地の良い不協和音が店内に流れる。

長い時間、勉強しているとコーヒーも段々と冷めてくる。

冷めても美味しいコーヒーがあるなんてここのお店に出会うまでは知らなかった。 

一度、どうしてお店を開こうと思ったのか聞いたことがある。 

その時マスターは、 「大学生の時、北海道の富良野のカフェを題材にしたドラマを見て、憧れて。そんな理由かよって感じですよね、」 と恥ずかしそうに言っていた。 

本人は不純だと言っていたが、どんな理由であれ、それを行動に移し、実現させているマスターはすごい。そんなマスターの姿にいつも背中を押される。

もっと頑張ろうって。ここのお店には僕だけでなく他のお客さんにもそんな雰囲気が取り巻いている。

それはまるで会話はなくても心が通じ合っているような奇妙な関係が生まれている。

そしてそんな環境を作り出しているマスターに尊敬と憧れの念を抱く。

だから僕はマスターがいるこの空間で勉強をするのだ。 

一日の始まりから終わりまでここで過ごす時間は今までも、これから先も、なんだかずっと夢を見ているようだ。 







外へ出て今日1日を振り返る。

夢で終わらせるもんか、と少し意地になってふっと吐いた息は白く濁っていた。

明日の天気はなんだろう、また明日を思い、お店を後にする。

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